River of the Covenant ーヘンリーズフォーク釣行記 その2-
DAY 2 JLY/11 2024
木曜日。
午前5時に起きる。外はほんのりと夜明けの気配。気温12度。
湯を沸かし日本から持参したインスタントコーヒーを作り飲む。買い込んだバケットとバナナを食べる。ゆっくりとした朝食を終えるとすっかり明るくなっていた。快晴。
食後は昨日までの事を反芻しながらぼんやりと過ごす。
7月9日の夕方に成田を出発し10時間半のフライトの末、コロラド州デンバーに到着し、入国審査や乗換えを経てモンタナ州ボーズマンへ。そこから車を運転してアイダホ州ラストチャンスへ辿り着き、一夜明けてようやくヘンリーズフォークにて竿を振ったのだが、その間ずっとふわふわとした心持ちだったなと、ベットの上で思い返す。
午前10時前に宿所を出る。フォード・エスケープという4輪駆動のSUVに荷物を積み込んで昨日ライズを見たミリオネアプールへと向かう。
駐車場に車を止めて身支度をしてミリオネアプールに向かうと、昨日ライズを見た場所から300メーターぐらい上流に釣人がいた。その釣人はスペイキャストをしながら釣り下がってきている。まさかヘンリーズフォークでスペイキャスターに出会うとは・・・と思いつつ昨日ライズした場所に入ってライズを待つ。
正午を過ぎた頃、ライズを見つける。大きな中洲寄りでライズをした。
ライズした場所から目を外さず静かに近付き次のライズを待つ。フライは#16のPMDクリップルを結んでいる。
同じ場所でライズをした。すぐにキャストをしてフライを流れに乗せる。フライは何事も無く流れ去る。
結局それ以降ライズはせず、午後1時半まで待ったが諦めて川から引き上げる。いつしか川には私一人という状況となっていた。宿所に帰って昼食としよう・・・
宿所にあるグリルでサンドイッチと炭酸飲料を注文し食べる。サンドイッチは半分だけ食べて残りは自室に持ち帰り冷蔵庫へ入れておき夕食とする。自室にて午睡。
夕方4時ごろ目が醒めて、顔を洗って冷やした水を飲んで部屋を出る。まだまだ陽射しが高いなか再びミリオネアプールへ向かう。
駐車場に着いてみると止まっている車は1台も無く、当然ポイントに釣人は一人もいなかった。少し考えて他のポイント、ウッドロードへ向かう事にした。
舗装路から未舗装の悪路に入り、慎重にモーグルを乗り越えたりやり過ごしたりしながらウッドロードに到着してみると、先客の釣人がライズを狙っているところだった。
川面を見ていると、大きさはともかくライズがそこかしこである状態だった。そうこうしているうちに車が次々とやって来た。ここが今のトレンドのようだ。それではと、私も身支度をして川に入る。
隣人と充分な距離をとって川に入る。目の前でライズが頻繁に起こっている。中には背中をヌルっと水面から出すやつもいる。逸る気持ちを抑えて、#16のPMDクリップルをライズに投げる。何事も無く流れ去るフライ。投げる。流れ去る・・・
やがて小さいカディスが大量に飛び始めたり、水面をちょっと大きなメイフライが流れ始めたりと、賑やかな状態になった。水面を流れるメイフライは#14ぐらいで、おそらくはフラブのダンと思うが確信は持てない。そしてそのダンを食うライズはない。時間はいつしか午後9時となっていた。
届く範囲で明らかに良型のライズが始まる。キャストしフライをレーンに流す。良型のライズがあったポイントへもうすぐフライが流れて行くという時に、別の魚がフライを咥えた。
すかさずアワセを入れる。プルっとした感触が伝わる。手繰りよせると小さなレインボートラウトだった・・・
この日はこれで終わった。
暗くなるなか川から上がると、同じく川から上がってきた日本人3人組に遭遇した。何となく挨拶し何となく流れで話を聞くと、このウッドロードは今日の午前中はよくフライに反応したが掛けるたびに切られて取り込めなかった。期待して夕方に来たがライズはあるものの全くフライに反応しなかった。今年は過去一番状況が悪い。ピークは先週で今は終わっているようだ・・・という事だった。貴重な情報といえば確かにそうだが、余計な事を聞いてしまったと感じた。上辺の情報に翻弄されるつもりはないが、要らぬことを聞いたばかりに心の底に澱となってそれが残ってしまい後々それを思い出しては釣れない言い訳にしてしまいそうだなと思った。
DAY 3 JLY/12 2024
金曜日。
朝9時前にウッドロードの駐車場に到着。既に川には何人か釣人が立ちこんでいてキャストをしている。昨日のイブニングの状況からして、今はここがトレンドなのだろう。
支度をして川に向かう。牛が川に入らないようにめぐらされた柵に付けられた小さな扉の横で静かにライズ待ちをしている釣人に挨拶をする。私は日本から来たフライフィッシャーで・・・と型通りの挨拶を始めると、「コンニチハ!」と返ってきた。日本語できるのですか!と思わず聞いてみると、昔少しだけ沖縄にいたことがありその時に少し覚えたという答えが返ってきた。なるほど・・・では軍の関係で沖縄に?聞いたがそうではないとの事だった。彼の名前はフレディー。それから色々話をした。彼の息子は海兵隊員として2年ほど沖縄に居たとか、今日はまだこれといったライズが無くここでじっと川面を観察しているとか、大きな奴はバンク際でライズしフォームも小さいからよく観察しないとならない等々。せかっくなので日本から持参したフライを見せてどう思うか聞いてみた。フォームビートルとアントを指差して、これがいいと言う。これを使えと。
やがてバンク際で小さなライズ。フレディー氏は私にそれを指差して、あれが大きい奴のライズと教えてくれた。そしてそのライズを譲ってくれた。
お礼と握手をしてそのライズを狙いに行く。
静かに近付いてジッとライズを観察する。不定期なライズ。定まらない・・・
流下している虫は見当がつかない。時間帯からして何かのスピナーフォールを拾っているのかと思ったり、目に見えないハッチに対してのライズだったり、水面直下のものへのライズだったりとあれこれ考える。
とりあえずフライを#14のラスティースピナーに決めて結び、ライズを待つ。そのフライにした根拠はスピナーというかメイフライのスペントが流れているのを見たから。そういえばトラウトハンターの店員も朝のスピナーフォールがありライズしていると言っていたな・・・と思い出したからでもある。
先程よりやや沖に出たライズ。よし、投げよう。
ラインをリールから引き出し、フォルスキャストを数回して、アップサイドにキャストをする。距離は8メーターぐらい。バンク際から離れて膝をついてのキャスト。
何事も無く流れ去るフライ。沈黙・・・
フライをビートル#16に換える。キャストする。沈黙・・・
結局このライズも釣る事は出来なかった。
時刻は午後1時を回っていたので川から引き上げて宿に帰る。
夕方6時に再びウッドロードへ。誰もいない。昨日はあれだけ人が居たのに。
支度をして川に入る。だが、にわかに曇り空となり風が吹き出して川面が波立ち始める。サンダーストームが来るのではと、一旦車に戻りやり過ごすことに。
30分もしないうちに雲が去り風がやみ、青空を映し出す川面に戻った。ほどなくして次々と車がやって来た。私も川に入り直す。
「上流に入っていいかい?」と声をかけられる。年配の釣人が犬を連れて私の後ろに立っていた。もちろんいいですよと返事する。距離を置いてその釣人と並んでイブニングを迎える。周りを見渡すとそれなりに人が入っている。
昨日と同じくカディスが大量に飛び回りフラブとおぼしきダンが水面を流れ、その上よくわからない小さい虫が流れる。
午後9時ぐらいからライズが盛んになる。昨日の教訓から飛沫を上げるライズは悉く小型のレインボートラウトだとわかったのでその中でたまに出る鼻先ライズやヘッドアンドテールよろしく水面を抜けるようなライズに的を絞ってフライをキャストする。
そしてとうとう手応えのある奴を掛けたのだが、すぐに藻に化けてしまった・・・
その後も大きそうなライズに的を絞ってキャストするも、チビに横取りされたり完全無視されたりで、イブニングが終わった。
帰り際、件の釣人と話をする。名前はキム氏、カリフォルニアから来ているという。1976年からこの川で釣りをしているそうだ。非常に年季の入ったウェダーとベスト。そして11フィートのとても柔らかいフライロッドを手にした姿に相当のベテランと感じた。そのキム氏曰く、先週ここで夕方いいいのを5本釣ったよとのこと。そして私にフライをあげようと言って、年季の入ったフライベストからフライボックスを取り出し、数本のフライを私の手のひらに載せてきた。決して洗練されたフライではないものの、無骨な指先で巻いたであろうそれらフライを見ると、その人の釣り史が何となく知れるのではないかと思う。いいものを頂いた。
午後10時過ぎにウッドロードを後にする。
明日は釣れるだろうか・・・
つづく
River of the Covenant ーヘンリーズフォーク釣行記 その1ー
"Was vernünftig ist, wird wirklich, und das Wirkliche wird vernünftig."
「理性的なものは現実的であり、現実的なものは理性的である」 Hegel
2024年7月10日から21日までの12日間、アメリカ合衆国・アイダホ州ヘンリーズフォークにてライズに対峙した記録。
DAY 1 JLY/10 2024
水曜日。
前日夕刻、モンタナ州ボーズマンの空港に到着し、車を借り受けて若干の買出しをしたのち、ラストチャンスへ向けて走り出した。初めて来たボーズマンの街を慣れない右側通行と左ハンドル車で走るのは緊張する。アメリカで車の運転をするのも初めてだ。
スマートフォンのナビに案内されるまま走り、夕闇せまる街を抜けて191号線を南下し、ロッキー山脈の懐深くをゆるやかに登って行く。道沿いにギャラディン川が流れている。やがてウエストイエローストーンの街を抜けて191号線から州道20号線に入り分水嶺を越えると、アイダホ州に入る。もうすでに真っ暗な中、ラストチャンスの宿所に到着する。午後10時半。
明けて10日朝、快晴。
余り眠れず早朝より起き出し、荷物を整理し釣りの準備をする。今日から12日間、ただひたすら釣りをする。ライズに没頭する・・・
準備を終えると、湯を沸かしコーヒーを飲んで、買い込んだバケットを千切って齧りながらぼんやりと今日のことを考える。とりあえず、釣りのライセンスを買うことと、現場に立つことを目指して宿所を出る。青空が拡がる。
朝の20号線を走り最寄の釣具屋へ向かう。右手に川が見える。ヘンリーズフォークだ。
川には誰もいない。少しは感動的な気分になるのかと思ったがそういうことはなく、イメージと違って瀬のような流れだなと、妙に冷静に思う。
トラウトハンターという店に立ち寄る。店内へ入ると、人でごちゃごちゃしている。みんな買い物客かと思ったが、ガイドとそのクライアントが川に繰り出す前に立ち寄っているような雰囲気だった。やがてそれらの人が店を出て行くと一気に静寂が訪れた。
完成品フライのショーケースの前でじっとしていると店員に声をかけられる。
「何か探してます?お手伝いしましょうか?」髭を蓄えたがっちりした体躯の店員。
私は、日本から来た事、初めてヘンリーズフォークに来た事、今のハッチの状況に即したフライを見繕って欲しい事、釣りのライセンスを買いたいことを告げた。
「OK!いい時に来たよ!今の状況は・・・」とハッチ状況を説明しながらフライを選ぶ店員に頼もしさを感じる。日本ではフライを買うことはまず無いが、知らない土地でもあり参考のためとして、また情報を得るためもありそれなりの金額のフライを買い込み、そしてアイダホ州の釣りライセンスを発行してもらう。
店を出て青空の下の20号線を南下する。オズボーンブリッジを渡りすぐに右折し、ハリマン州立公園のビジターセンターへ立ち寄る。この公園内に入る際には、1日につき7ドル支払うことになっている。先ほど寄ったトラウトハンターで店員に「毎日釣りをするなら年間パスを買ったほうがいいかも。80ドルだったと思う。」と教えられたので、それを購入するべく立ち寄る。厳密にはハリマン州立公園の区域は広大でその中の有料エリアというべき場所なのだけれども。
建物に入り声をかけるとドアの奥から若い女性が愛想よく出てきた。名札には季節とあったので夏の間だけのバイトの子かもしれない。用件を伝えると、「じゃあ年間パスか毎日都度払いのどちらが安いか調べてみますね。ちょっと待っててください・・・」とPCを立ち上げて調べ始めた。いや、毎日来たとして12日なので都度払いだと84ドル、年間パスは80ドルだから・・・と思うものの、真剣にPCを操作して調べてくれているのでそれを言い出せず。結局年間パスを購入することになった。車(レンタカー)のナンバープレート(カリフォルニア州登録)を撮影しそれを取り込み、宿所の住所と共に登録された年間パスは12月31日まで有効とあった。これで諸々の準備は出来た。
ミリオネアプールというポイントへ向かう。駐車場に車を止めて支度をする前にまずはと川の様子を見に行く。整備された公園の歩道を歩くとほどなくミリオネアプールが眼前に現れる。
それはイメージしたヘンリーズフォークそのものの風景だった。
遠くの川面に何人か釣人が立ち込んでいた。手前の淵では何か大きな魚がライズを繰り返している。レインボートラウトか?いやホワイトフィッシュかも・・・などと思っていると、脂鰭を見せるかのようにライズした。あぁ、レインボートラウトか。でもまあそこはいかにも深そうな淵だったので誰も手が出せない聖域なのかもしれない。あまりにも悠然とライズをしていると、却って疑ってしまう。世界一難解なライズの川と言われるヘンリーズフォークでそう簡単にライズを見つけられるとは思わないし、そう易々とライズを釣る事は出来ないという先入観に支配されている私は、しばらくそのライズを眺めてのち、車に戻って釣りの支度を整えて、いよいよ川に向かう。
先行者からかなり離れた場所で川に入る。川は、水温は低く、水深は膝ちょっと上というところで、僅かに濁った水と川底の水草、そして水草や何やらの流下物がある状況。牧場の中を流れる大きなスプリングクリークであり、灌漑ダムのテイルウォーターでもあることをそれらのもので改めて知る事となる。
この川で釣りをするために製作してもらった蜉蝣ロッド8ft#5にハーディーの1950年代のセントジョージⅢからラインを引き出してガイドに通し、リーダーに6xのティペットを結んで、その先にサーチフライとして#16のフライングアントのフライを結ぶ。ライズを発見しハッチの主体を絞り込むまではサーチフライとしてアントがいいと、こちらに来る前に観たDVDの中でレネ・ハロップ氏が言っていたので、忠実に従う。
諸々の手順を踏んで川辺に立ったのが午前10時半だった。そこからとりあえず様子を見つつ川辺を歩いてリサーチをと考えていた矢先、目の前でライズリングが拡がった。やがて「コポッ!」という音と共に少し沖合いでライズ。ライズの音は本当は無いのかも知れないが、そう聞こえた気がした。
そのライズの主は何かはわからない。ただ非常にフォームは小さいが残った波紋からそれなりの大きさの魚だという事はわかった。
見ていても仕方が無い。正体を確かめたくもあり、そのライズを狙ってみる事にした。
静かに、静かにライズした場所へ足を進める。ライズは定期的にするわけではなく、思い出したころに静かにする感じだ。そしてライズは1回で終わらず、2,3回連続でライズをしては沈黙する。そのサイクルは一定ではない・・・
フライに丁寧にフロータントを施し、リールからラインを引き出して、ライズに備える。
やがてちょっと離れた場所でライズをした。丁度正面やや下流というポジションで10メートルもない距離だった。そのライズに対して、フライを投じた。
距離を見誤りライズした場所より手前を流れるフライ。再度投げ直す。
今度はライズした付近を流れる。が、水面は静かなまま・・・
その後数度投げるも全く反応無く、ライズもない。
ですよね・・・そう上手く行くわけがないですよね・・・
水面を観察する。流下する虫類は、よくわからない。何かのメイフライのスペント、カディスのスペント、そしてごくたまにグリーンドレイクのようなメイフライのダンが流れるが、それらに対してライズをしている気配はない。ただ忘れた頃にするライズは静かに鼻先を出すライズなので大きなものを食べているわけではないのはわかる。
フライングアントではないのは明白なのでフライを変える。#16番のPMDクリップルダンを結びライズに備える。根拠があり経験から導き出したフライ選択ではなく、レネ・ハロップ氏の著書に従った。そもそも経験が全く無いこの川ヘンリーズフォークで、根拠を以ってフライを選択することは私にはできない。
またライズした。
早速フライを投げる。フライの下で波紋が拡がった。が、フライは何事も無く流れ去る。
時間は午後1時前。ライズは止まってしまった。
時差ボケが治まらずフワフワした気分でどこか定まらない気持ちもあり、今日の釣りはここまでとし、川から引き上げる。
宿所に帰り、宿所併設のグリルでサンドイッチと炭酸飲料を買い昼食とした。その後頼まれた用事をこなす為に、ウエストイエローストーンの釣具屋へ向かい買い物をしてのち120マイル離れたボーズマンの街まで走り巨大なスーパーマーケットで買い物をして、日が沈むころにラストチャンスへ戻った。
こうして1日目が終わった。
つづく
浜名湖のチヌ釣りとガイドサービス
8月初旬、静岡県浜名湖にてチヌ(クロダイ・以下チヌと表記)のフライフィッシングをガイドサービスを利用して楽しんできた。
昨年9月末、釣り仲間に誘ってもらい初めて浜名湖へ釣りに行ったのだが、その日は荒天でサイトフィッシングが出来ず、残念な結果となった。その日は、釣りの途中で次回への勉強と割り切って、ガイドの喜多さんにこの釣り(チヌのサイトフィッシング)のノウハウ(特にチヌの見つけ方)をみっちり教えてもらった。
それから1年後の今年8月、その実践釣行となった。
真夏の晴天となった当日は、朝からチヌの姿をよく見た。素人の私でもそれなりに視認できるような状況だったが、ガイドの喜多さんはそれ以上に素早くチヌをサイトしてくれて的確なアドバイスを出してくれる。ガイドの目は確かで全くの隙が無い。ガイドが指し示した魚影を私自身も確認したら、それらに向けてフライを投げる。
しかし、中々バイトに繋がらない。ガイド曰く「なんで今ので食わないの!」という状況が続いた。ちょっとフライを追いかけてはみたものの途中で嫌って帰ったり、全く無視したりというのが続いた。私が未熟で正確にフライを投げられないというのもあるが、それにしても、もどかしい時間が続いた。
湖面に立ち込んで2時間ほどもどかしい時間を過ごしてから、ようやくチヌを釣った。
それは、私自身で見つけたテイリング(チヌが湖底のエサを食い尾鰭が水面上に突出する状態)だった。そのチヌは単独でエサを食っていた。波間に一瞬だけ尾が上がったのを視認し、その場所をマークして、そっと回り込んでフライを投げ、釣った。
南西の微風が湖面をわずかに乱す中、最適であろう位置にて再度尾が上がるのを待ち、再び尾が上がった時に、そこへ向けてフライを投げた。
「追ってますよ!!追ってますよ!!」
ガイドが言ったその時、ゆっくりとリトリーブしていたフライラインが何かに引っかかったような感触と共に真っ直ぐになった。バイト・・・
早アワセ、竿を大きく煽るアワセは厳禁と自身に言い聞かせながらフライラインを手繰り続け、充分に重みを感じてから竿を起こす。
青いブランクカラーのグラスロッドが曲がり、走るチヌをいなす。
数度のやり取りがあって、ガイドの差し出すネットに収まった。
がっちりと握手をする。1年待ってやっと手にした。
ゼロとイチでは極限に違う。ようやく1尾を手にし、妙な緊張もほぐれて、何か憑き物がとれたように気持ちが軽くなった状態で、その後釣りを続けた。
程なくして、2尾目のチヌを釣る事が出来た。
2尾目のチヌは、フライを投げて、目の前を通すと、猛然と追いかけてきてフライを咥えた。
この日は結局2尾のチヌを手にした。どちらもサイトフィッシングで仕留ることが出来た。
今回、ガイドサービスを利用して釣りをしたが、非常に「質」の高い釣りが出来た。
ガイドサービスを使うことに対して、釣人それぞれの考えはあると思うが、私自身はそれほど拘りが無いので、特に浜名湖のような釣り場なら積極的に利用しようと思っている。
よく知らない釣り場、特に遠方の釣り場で、限られた時間で釣りに集中したいとなったら、ガイドサービスの利用は最適解だと思う。
もちろん、自分自身でゼロから組み立てて釣りをする事の面白さ(いや寧ろそれこそが私自身の釣りの信条である)は良くわかるのだけれども、「質」の高いガイドサービスの利用は、釣りそのものを純粋に楽しめるので、遠方への釣り旅や時間が限られた中での釣りに利用してみる事をお勧めしたい。
日本ではまだそれ程「質」の高いガイドサービスが普及していないような気もするが、これから発展して行くと思う。
また、ガイドサービス=確実に大漁を保証してくれる・無垢な魚を一杯釣らせてくれる・魚釣りではなく魚獲りをさせてくれる・・・ではないという認識が釣人側に一般化して欲しいと個人的に願っている。
※参考
今回お世話になった浜名湖のガイドサービス
ワタツミガイドサービス 代表 喜多賢治さん
「Vor dem Gesetz」について ~フライフィッシング・本流ヤマメ釣り2022年備忘録~
今年2022年も、春から初夏にかけて、いつもの本流へヤマメ(山女)釣りに通った。
もうかれこれ20年近くその川に通っている。飽きもせずよく通えると思うが、一向に飽きる気配が無い。
今年も桜が咲き始めた頃から川通いが始まった。
3月末日
峠道の雪が融けたのはつい最近の事。ようやく本流へ行ける。
3月の末日、昨年破損した竹竿の補修を頼んでいたロッドビルダーさんの工房を訪ねる。その本流のほとりにある工房を訪問するのが本流の釣りを始めるにあたっての毎年のルーティンとなっている。
手土産の地酒を提げて工房のドアをノックする。中へ招き入れられ、コーヒーを飲んで、四方山話をして、ではそろそろ・・・となり、二人して川へ繰り出す。遠くの山にはまだまだ雪が残り、晴天とはいえ少し肌寒い感じ。桜はこの辺りではまだ咲き始めと言ったところ。
いつものポイント、いつもの風景。
この時期はオオクマ(オオクママダラカゲロウ)が出るか出ないかと言ったところで、ライズが見れるかどうかもわからないという状況だけれども、ここ数年は安定してライズを見ているので今年もライズするだろうと楽観的に構えていた正午前、ロッドビルダーさんがライズを発見する。ハッチの主体は不明。
あぁ、今年も始まった・・・
まだ拗れる前のライズだろうと少々安易に考えていたそのライズは、中々手強く、流すフライを無視したり、反応をやめたりする・・・何回かフライを交換して、やっと釣ることが出来た。毎年この川で初物を無事ネットに収めるまでは、胃の痛い思いをするが、今年は特に胃が締め付けられて痛かった。緊張と解決、そして長いシーズンが始まった。
4月中旬
最初のライズを釣ってから、暫く経った4月中旬、川原に立った。
私は、前回の釣行後すぐに沖縄へ飛び、亜熱帯の太陽の下で、その川のことを思い出しながら過ごしていた。釣りとは無縁の沖縄生活から帰ってようやく時間が出来て川へと向かった。川は何も変わらずにそこにあった。
水生昆虫の羽化、ハッチに呼応したライズを釣るのはフライフィッシングの特権といってもいいのかもしれない。というかそうであって欲しい。ハッチする虫に似せたフライ(毛鉤)を自作して、それを独特の竿と糸を使って、ライズする魚に向かって投げる・・・ごく単純(簡単ではない)な釣りだと思う。
その単純な釣りの一番いい時期が、その川では4月中旬からとなる。
正午を挟んだ前後2時間の間に、物語が進行する。
オオクママダラからオオマダラ(オオマダラカゲロウ)へと、ハッチが移行してゆく中、ヤマメ達は盛んにライズを繰り返し、釣人は心躍らせる。
この時期は川で釣り仲間に会うのが楽しみでもある。この川で待ち合わせをしたわけでもないのに顔を合わす釣り仲間。余計な身の上なぞ話す事もなく、ただひたすら釣りの話をして終わるだけ。気楽でいい。
頃合いにライズが始まる、話はそこそこにして皆目当てのライズへと向かう。
今年は私の地元の釣り仲間をこの川に誘った。
一番いい時期を予想して誘ったものの、釣りは水物で、予想は必ず裏切られる。あれこれプロットを練るも、その通りには進まないのがドキュメンタリー。往復800キロの旅路を無駄にしてしまうかもと思うと、中々気軽に声をかけられない・・・
だけれども、そんな杞憂は無駄だった。
最盛期の川は躍動し、生命力に溢れていた。オオクマやオオマダラなどのメイフライがハッチのピークを迎えると、ヤマメも盛んにライズした。
釣り仲間も私も、翻弄されながらも楽しい時間を過ごした。
ある日は日帰りで、ある日は週末の泊まりで、地元の釣り仲間と釣りをしたが、どちらも印象に残る釣りになった・・・と思う(緊張と解決)。
春の大型連休前の、釣り仲間との釣行は、週末の土日釣行で川は釣人が沢山いた中での釣りだったが、みんな本流ヤマメを手に出来た。私も落穂拾いをしたが、充分に楽しめた。たまにはこういう釣りもいい。こうして前半を終えた。
5月の風
大型連休を挟んで5月の本流は、日中の釣りから夕方の釣りへとその主体を移行させてゆく。いわゆるイブニングライズの釣りが主体となる。イブニングライズ自体は4月からあるものの、本格的になるのは5月の連休を過ぎた辺りからだ。
ハッチの主体も、メイフライからカディスへと移行し、それでいて小さなメイフライが集中ハッチしてそれに固執するヤマメがいたりして、簡単なようで複雑(いつだってこの釣りは簡単なことはないが)な釣りを強いられる。そして、ライズを釣ることをテーゼとしていると、そのライズが、日暮の直前のわずか10分の間だけという事態が起こりがちなのもこの時期。それへの対処を迫られ、準備と段取りと手順を間違えると、とぼとぼと帰路につくことが多くなるのもこの時期・・・
代掻きも終わり、田圃に水が張られ稲が植えられたた5月のある午後、本流へ。
まだ日が高いうちは、瀬を釣り上がる。少し大型のメイフライを模したフライをドリフトさせると、それらしき場所からヤマメが出てくる。水温が上昇し魚のコンディションも良い。「うりずん」とは瑞々しいという意味の沖縄の言葉だけれども、まさにうりずんな景色とヤマメだと感じる。
またこの時期は、荒い瀬を大型のストーンフライを模した#6程度のフライでアクションを付けながら誘ってゆく、フラッタリングの釣りも面白くなる。
今年は大型のヤマメは釣れなかったが、それでも迸る流芯から飛び出してきたヤマメはいた。ライズの釣りとはまた違う釣りで少々ルアー的ではあるものの、これはこれで楽しい。
こうして鮎釣りが解禁となる6月までを本流で過ごした。
その中で、一番印象に残っているヤマメは5月の下旬のある日、夕暮れ時にライズしたヤマメ・・・
小さなライズの正体
その日は昔からの釣り仲間もその川に来ていた。お互い単独行動だったので電話で連絡をとって入るポイントなどを確認しあった。
私はイブニングライズに実績のあるポイントで待機した。だけれども、どうにも落ち着かず、別のポイントへ移動した。既に暗くなりかけてはいたが、どうにか別のポイントへ入る事ができた。
・・・このポイントはここ数年ずっとルアーマンが入れ替わりに入っているポイントで釣りをしたくても出来ない状況だった。私自身はいつもオオマダラの季節にはそれなりにいい釣りをしていたので、最近のそういう状況が残念でならなかった。ある日偶々誰も居なかったので釣りをしてみると、放流固体であろうヤマメが核心ポイントから出てきてガッカリした。
その時に一人のルアーマンがやって来て少し話をしたのだが、どうも昨年(2021年)に大きなヤマメがこのポイントでルアーで釣れたらしい・・・と教えてくれた。らしい・・・というのはSNS上での情報だそうで、出所もハッキリしないらしいが、何故か場所だけはここだと確信を持っていた。ここ数年の状況はそういう事情なのか・・・と、妙に納得した。
そのルアーマンは自作ミノールアーだけを使って釣りをするそうで、色々見せてもらったが、工芸的美はあるなとは思ったが、それ以上の感慨はなかった。また彼は私の持っている竹竿と1950年代の英国製のフライリールに興味を持ったようだったので、試しに振ってもらったが、感嘆詞が少し出ただけだった。その後彼はそそくさと川に入って行った・・・
というようなここ最近のポイント事情ではあるが、とにかく空いていたので、さっさと川に立ち込んだ。
午後7時前、全く水面に変化が無いまま腰まで浸かった状態で立ち尽くしている。
それらしい流れを凝視しているが変化が無い。
水生昆虫のハッチも無い。
・・・
プールの尻で、何か飛沫が上がった気がした。
そちらを注目しても、何も無い。
やにわにストーンフライ(オオヤマカワゲラ)が水中からハッチしてきた。
瞬間、飛び立ったストーンフライの下で何かが波紋を立てた。
ヤマメのライズだ。
それっきりかと思ったら、暫くして、その場所から少し上流に移動して、静かに鼻先を出すライズをした。1回・・・2回・・・夕闇迫る中、静かにライズを始めた。
フタオカゲロウ系の#16番位のメイフライがハッチしているのだろうことは過去の経験から何となく推測できた。なのでそれに合わせたフライを既に6Xのティペットに結んであった。
あとはそのライズへ向かって投げるだけ。距離はちょっとある。
ともかく投げる。
上手い具合にレーンにフライを入れられた。
ゆっくりドリフトするフライ。
フっと鼻先を出すヤマメ。
吸い込まれるフライ・・・
竿を煽って、アワセをくれる。
手に伝わる衝撃から、大きいとわかった。
ローリングをさせまいと竿を横に寝かせて矯めにかかる。
無理は出来ない・・・
ゴボゴボッ!!という音をさせながら、ヤマメはもんどりを打つ。
一向に手前に寄せられない。
じりじりとした時間が過ぎる。
その日同じ川の別のポイントに分かれて入った釣り仲間が作ってくれたネットにヤマメが収まった時には、既に辺りは薄暗くなっていた。
メジャーを持っていないのですぐにはわからないが、明らかに尺(30cm)は超えている。
サイズだけは知りたかったので、太いティペットを魚体に合わせて切り取る。スマートフォンでヤマメを撮影し、元気なうちに流れに戻す。
ヤマメは、ゆっくりと深みに姿を消していった。
別場所でイブニングを迎えた釣り仲間に電話をし、落ち合う。
メジャーを借りて、先ほど切り取ったティペット片の長さを測る。
尺は優に超えていた。
このヤマメを釣った日から、実はその川には行っていない。何となく、これで今年は終わりにしておいた方がいいのじゃないかと。
雑感として
少しはフライフィッシングの初心者になれたかなと思ってはいた自分自身だったが、初心者どころか入門すら出来ていない、それ以前の事象で止まっているということを思い知らされた。どうしたらフライフィッシングの入り口に立てるのだろうと、また振り出しに戻らされてしまった。迷中迷・・・
とうとう門番が行ってしまうのか・・・開いていた門は閉ざされ、そこを通る事は生涯出来ないのかもしれない。
フランツ・カフカ "Vor dem Gesetz" を思い出す。
本流ヤマメ釣り備忘録2022年
2021年 回顧
2021年も、もうすぐ終わり。
今年の最後に、散文を少し・・・
ここ2年ほどの世情として、個々に対して「自粛」を強いられてきた影響なのかもしれないが、どことなく「社会」という漠然とした何かを意識した釣りを私自身はしていた気がしてならない・・・その結果として、釣りに関しての私の認識が少し変わった年であったなと思う。具体的に何が変わったのか?は言語で説明しづらいが、確実に以前の私の釣りの認識とは違うものになった。来年はその何かが明確になるような気がするが、それが明確になると、あるいは竿を置く事になるのかもしれない。いずれにしても、一回一回の釣行から無駄な釣行(暇潰しや惰性の釣り)を排除していった先にあるものが、竿を置く事なのではないのかと思えてならない。何を言いたいのか?それがわかっていればわざわざここで書く必要もない。というか、釣りは暇つぶし程度が一番いいのだと思う。思うが・・・
さておき、今年もよく釣りをした。昨年から急増した釣り人口(無論一過性のものだと思う)のせいか、どこの釣り場も盛況だった気がする。本来ならこの状況を喜ぶべきなのだけれども、1995年前後の不況下での釣りブームの結果を知っている身としては、手放しで喜べない。本当はそっとしておいて欲しいのが本音で、静かに釣りをしたいだけの私からしたら賑やかな釣り場は苦手、釣り人口増も苦手。というか、静寂と静謐を厳しく求められる釣りが本来の釣りなのではと思うのだが、如何に。
自粛はある意味外部から強要されたもので、私は正直反発の感情が湧きあがるのだけれども、「自制」は必要だなと思っている。こと釣りにおいては特に自制が必要だと痛感しているし、それを実践しないとならないと思う。
法律や規則に決められていなくとも、釣法の制限や獲っていい魚の数の制限など、個々のモラルに委ねられる事に関しては最大限自制しようとしている。
それを他の釣人に教条的に言うつもりはない。だけれども、これからもずっと釣りをしていきたい(特に日本の川でのヤマメやイワナなどを釣ること)と思うなら、自制は必要では?
自己顕示や承認要求を満たすための釣りはもういいのではないのかなと・・・
毎年、ライズの釣りに没頭する4月から6月。
ハッチの具合とライズの有無に気を揉みながらその3ヶ月ほどを過ごすのがここ15年の恒例となっている。
今年は結果としては平凡なシーズンだった。予定通りのハッチとライズだったとは言い難いが、それでも印象に残る釣りは出来た。
それと同時に、克服するべき課題も出来た。そして、未だフライフィッシングの入り口にも立っていないのだと再確認もした。早く初心者になりたいと切に願う、相対評価ではなく絶対評価としての。
20年ほど前に少し通っていた川に久しぶりに行ってみた。
かつては賑わいを見たその川は、今は何とも残念なものになっていた。それを嘆いても仕方が無いが、結局あの騒ぎは何だった?と思う。昔は良かった・・・的な意味ではなく、未来(つまりその時から20年後の今)へ向けていい釣り場を!という趣旨での、あの騒ぎは何だったのか、なのだけれども。
結局、釣人の意識、或いは釣人の「善意」に依拠した結果が今なのだとしたら、それは残念ながらそういう事なのだなと思う。
人を変えることは出来ないから、自分が変わるしかないと、この歳になってよく思うようになった。少し進歩したのかもしれないし、諦観に達したのかも知れないし、まあそんなものだと。
「ポストモダン」の終焉は近いのかもしれない・・・
散文としての2021年の回顧
Beyond Reason 理性を超えて
ヒラスズキをフライフィッシングで釣ることが私にとってのパイオニアワークだった頃の話。
理性を越えた先に。
・・・
低気圧の通過した12月の朝。濡れた山道をひたすら歩き稜線へ登り詰めたその眼下、木々の間からわずかに見える海岸線は、打ち寄せる波に覆われていた。
夜が明けるまでは雨が降っていた。今は降ってはいないが、未だ鉛色の雲が空を覆い、それは陰鬱とした色彩で水平線に溶け込んでいた。
稜線から山腹を降り磯に立つ。打ち寄せる波は強く、そして厚いサラシを形成していた。時折来る大波を注視しておかないと、身体を持っていかれるような荒れ具合だった。
磯際から少し離れ波の具合を見ながら、ロッドを継ぎ、リールからラインを引き出してガイドに通してゆく。その間も、幾重にも波が打ち寄せて来ては、汀を真白に覆い尽くしてしまう。
30ポンドのショックティペットにフライを結び、それをガイドに掛けてリールを巻き取り、ロッドを肩に担いで満潮の潮溜まりを歩き、打ち寄せる波のタイミングを見て少し大きな岩の上に飛び乗る。
飛び乗った岩の先は一面のサラシ。それは打ち寄せる波によって拡がっていた。その寄せる波の幾つかは、私の足を駆け上ってきた。
ガイドからフライを外し、リールから投げる分だけのラインを引き出して、足元に溜め、タイミングを見計らい、フライを投げる。波の引きによって出来る流れを感じながら、ラインを引きフライに動きを加えながら手繰り寄せてくる。
何度かそれを繰り返した後、その瞬間を迎えた。
リトリーブする左手の感じていた抵抗が消えたと同時に、サラシを割って跳躍したヒラスズキ。その後、ロッドとラインに重みが伝わった。
ギッと胃が締め付けられ、極度の緊張を強いられる。外れるな、外れるな・・・
少し長いやり取りの後、どうにか寄せてきたヒラスズキを、立っている岩の背後の潮溜まりへ誘導し、自身もそこに飛び降りる。腰まで浸かりながらヒラスズキの口を掴んで、大波が寄せて来ない内に安全な場所まで退避する。無事取り込めた・・・
足元に横たわるヒラスズキ。白銀の胴と薄く青みがかった背。メジャーを取り出し、長さを測り、デジタルカメラで魚体を撮影し、余韻に浸る間もなく、ヒラスズキを海に帰した。
まだ釣れる・・・
やり取りで壊れたフライを新しいものに替えて、再び岩に飛び乗り、サラシに対峙する。先程と何も変わってはいない風景は、時間を逆行したかのようだった。
そして、再びその瞬間を迎えた。
今度は明確な躍動を手に感じ取った。やり取りも、少しばかり余裕が出来たのか、ロッドの描く曲線を見る事が出来た。それでも相変わらず胃が締め付けられる緊張感は変わらない。
無事取り込むことが出来たヒラスズキは、やはり白銀の胴と青みがかった背をしていた。口元に刺さったフライを外し長さを測って撮影して、海に帰した。
2本目のヒラスズキを釣った後も、同じように、フライを新しいものに取り替えて、岩の上に乗り、サラシに対峙した。
そして、投げるべきタイミングを待った。
投げなかった。もういい、止めよう・・・
左手の指先で保持していたフライをロッドのガイドに掛け、出しておいたラインをリールに巻き取った。そして、岩から降りた。
もういい、もういい・・・
投げていたら、確実に釣れたはずだ。だけれども投げるのを止めた。
不意に、形容しがたい感情に支配された。それが何なのかはわからないが、既にヒラスズキを2本釣った余裕からではないのだけは確かだった。そんな事ではない・・・
それは理性を越えた先に、あるのかも知れないと、漠然と思った。
しばらく海を眺めてみた。相変わらずサラシが拡がっている。何か変化した事と言えば、鉛色だった空が、青く澄み切ったことぐらいか。
その青い空を見上げた。
・・・
今から13年前、2008年12月の出来事。
Beyond Reason 理性を超えて
回顧と展望
2021年も1ヵ月半が経過した。相変わらず新型コロナウイルス(COVID-19)は収束及び終息の兆しが見えないような世の中ではあるが、あと少しで河川が解禁だと思うと、気持ちが軽くなり身体も軽やかに動くような気になる。早く川原に立ちたい。
昨シーズンは、どこかで醒めた感覚を孕んだまま川原に立つ日々だった。魚と私との切実な間合いでの対峙ではなく、自分自身の釣りの姿や川の流れやハッチやライズ、それらを含めた風景を自身の背後から他人事のように傍観しているような距離感で釣りをしていた。いや、昨年だけではなく、程度の差こそあれいつもそういう節はあったが、それがより先鋭化した年だった。そういう感覚は、ありふれた言い方をすれば「私という他人を演じている私」ということにでもなるだろうか。それは強烈な自我の認識なのか。ともかく、他人である私を演じているという感覚を孕んだまま釣りをすることが多かった。
そういう感覚は、ある種の思索には良いとは思うけれども、魚釣りに於いてはどうもいまいち釣りに主体として没入できていないようで、何か勿体無いなという俗欲の感情が湧いてくるばかり。それは例えば、何人かで川を遡行しながら釣りをしている時に、眼前の釣りにのめり込んでいる釣友を見ていて、絵空事のように後を付いて行く私はその姿を羨ましく思えたりといった感情。自分自身も同じように釣りをしているのに、どうも何か主体として釣りに没入できていない・・・そう感じるのは、或いは年月だけは一人前に重ねてきた釣りキャリアに於いて染み付いた垢のせいなのではないのか?いつも釣りに行けば、川原に立てば、それは日々是新、新しい世界の構築だと口では言いつつも、どこかで同じことの繰り返し、過去の記憶と記録をなぞっているだけの、予定調和を地で行くだけの、釣りになっているのじゃないか?などと、多少自嘲気味に分析してみたり。何と面倒な性格なこと・・・
道元禅師は、只管打坐というけれども、只管打坐(この場合釣りではあるが)を繰り返している内に、疑念めいたものを孕んでしまい、迷中迷(めいちゅうめい)に陥っているのが、昨年の私の釣りだったのかも知れない。
そんな昨年だったが、それなりに印象的な釣りや魚には出会った。
ライズを釣ることだけを目的にもう15年ほど通いつめている川で、それまであまりやった事のなかった、荒い瀬を大きなドライフライを動かしながら下る、フラッタリングの釣りがそれだった。
フラッタリングの釣り・・・何となくルアー的で積極的にすることは無かった釣りだが、5月の連休明けのある日に、オオヤマカワゲラに対して激しくライズするヤマメを見つけて、それを釣った時から、鮎の解禁で釣りが難しくなるまで、フラッタリングの釣りに傾倒した。毎年良型のヤマメを釣るプールでのイブニングをすっ飛ばしてまでして・・・
しかしながら、いい釣りは初回だけだった。あとは尻すぼみになっていくばかりだった。ハッチのピークに、偶々そのいいタイミングで釣りが出来たというだけだった。
それでも、核心部分でフラッタリングさせると激しく反応してくる様を見た時の、気持ちの昂ぶりをもう一度とばかりに、最後までそれを続けた。静かな水面で静かにライズする魚と対峙した時の気持ちの昂ぶりとはまた違った種類の興奮を得るために。
わかってはいる、だけれども、どうしようもない・・・
そういう身の置き所の無い自身の中にあるものを抱えたまま、今季も川原に立つことになりそうだが、まあそれが釣りなのかなと・・・
回顧と展望