自転車と釣りと余白と

自転車と釣りと周辺の余白について

2021年 回顧

2021年も、もうすぐ終わり。

今年の最後に、散文を少し・・・

ここ2年ほどの世情として、個々に対して「自粛」を強いられてきた影響なのかもしれないが、どことなく「社会」という漠然とした何かを意識した釣りを私自身はしていた気がしてならない・・・その結果として、釣りに関しての私の認識が少し変わった年であったなと思う。具体的に何が変わったのか?は言語で説明しづらいが、確実に以前の私の釣りの認識とは違うものになった。来年はその何かが明確になるような気がするが、それが明確になると、あるいは竿を置く事になるのかもしれない。いずれにしても、一回一回の釣行から無駄な釣行(暇潰しや惰性の釣り)を排除していった先にあるものが、竿を置く事なのではないのかと思えてならない。何を言いたいのか?それがわかっていればわざわざここで書く必要もない。というか、釣りは暇つぶし程度が一番いいのだと思う。思うが・・・

さておき、今年もよく釣りをした。昨年から急増した釣り人口(無論一過性のものだと思う)のせいか、どこの釣り場も盛況だった気がする。本来ならこの状況を喜ぶべきなのだけれども、1995年前後の不況下での釣りブームの結果を知っている身としては、手放しで喜べない。本当はそっとしておいて欲しいのが本音で、静かに釣りをしたいだけの私からしたら賑やかな釣り場は苦手、釣り人口増も苦手。というか、静寂と静謐を厳しく求められる釣りが本来の釣りなのではと思うのだが、如何に。

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A day in the Life

自粛はある意味外部から強要されたもので、私は正直反発の感情が湧きあがるのだけれども、「自制」は必要だなと思っている。こと釣りにおいては特に自制が必要だと痛感しているし、それを実践しないとならないと思う。
法律や規則に決められていなくとも、釣法の制限や獲っていい魚の数の制限など、個々のモラルに委ねられる事に関しては最大限自制しようとしている。
それを他の釣人に教条的に言うつもりはない。だけれども、これからもずっと釣りをしていきたい(特に日本の川でのヤマメやイワナなどを釣ること)と思うなら、自制は必要では?
自己顕示や承認要求を満たすための釣りはもういいのではないのかなと・・・

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A day in the Life

毎年、ライズの釣りに没頭する4月から6月。
ハッチの具合とライズの有無に気を揉みながらその3ヶ月ほどを過ごすのがここ15年の恒例となっている。
今年は結果としては平凡なシーズンだった。予定通りのハッチとライズだったとは言い難いが、それでも印象に残る釣りは出来た。
それと同時に、克服するべき課題も出来た。そして、未だフライフィッシングの入り口にも立っていないのだと再確認もした。早く初心者になりたいと切に願う、相対評価ではなく絶対評価としての。

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A day in the Life

20年ほど前に少し通っていた川に久しぶりに行ってみた。
かつては賑わいを見たその川は、今は何とも残念なものになっていた。それを嘆いても仕方が無いが、結局あの騒ぎは何だった?と思う。昔は良かった・・・的な意味ではなく、未来(つまりその時から20年後の今)へ向けていい釣り場を!という趣旨での、あの騒ぎは何だったのか、なのだけれども。
結局、釣人の意識、或いは釣人の「善意」に依拠した結果が今なのだとしたら、それは残念ながらそういう事なのだなと思う。

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A day in the Life

人を変えることは出来ないから、自分が変わるしかないと、この歳になってよく思うようになった。少し進歩したのかもしれないし、諦観に達したのかも知れないし、まあそんなものだと。

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A day in the Life

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ポストモダン」の終焉は近いのかもしれない・・・

散文としての2021年の回顧