自転車と釣りと余白と

自転車と釣りと周辺の余白について

River of the Covenant ーヘンリーズフォーク釣行記 終章ー

真夜中の20号線を北上する。
峠道を登り分水嶺を越える。アイダホ州からモンタナ州へ。川は太平洋から大西洋へと流れを変える。
昼間に較べすれ違う車も少ない。外気温は10度を下回っている。
ヘッドライトが照らし出す真っ直ぐな道を走る。
午前2時過ぎに、2週間滞在した宿所を出た。霞んだ月が出ている。
空港のあるモンタナ州ボーズマンまで160マイル。深夜の道行き。
エスイエローストーンの街から191号線へと入り、ギャラティン川沿いを走る。
外の気温が摂氏4度と表示される。誤差はあるだろうが、確かにそれくらいの気温だなと感じる。シートヒーターをオンにする。

12日間の釣りで3尾のレインボートラウトを手にした。
単に魚獲りなら、全くもって少ない釣果だろう。
はるか日本から太平洋を横断し訪れた地で約2週間釣りをして、たったの3尾しか手にしていない。
大きなレインボートラウトを手にしてリリースした日は、もうそれ以上釣りをしなかった。それ以上他の魚を追わなかった。それ以上魚を追う気になれなかった理由は、わからない。更にライズを探せば、或いは待てば魚を手にすることもあったはずだ。だが、それを探すのも待つこともしなかった。
釣人として失格なのかもしれない。

それにしても、ここが聖地と言われる理由がよく分かった。
フライフィッシングの理想が全てここにある気がする。
それらは閉ざされた、一部の人だけが享受できるものではなく、ルールさえ守れば誰にでも開かれたもの。
半世紀この川で釣りをしてきた老師と並んで、今フライフィッシングを始めたばかりという若者がぎこちないキャスティングを繰り返している。
あるいは、川辺にピックアップトラックを止めて、そこから川に向かって1人でキャストしているピンクのワンピースを着た女の子がいたりする。
ドリフトボートを操るガイドの指示でキャストする釣人がいるかと思えば、犬と一緒に川に浸かり涼をとる釣人もいる。その合間にカヤックやラフティングボートが下ってゆく。それだけ懐が深い。
フライフィッシングのみ、キャッチ&リリースの厳守。
たったこれだけで豊穣の川が保たれている。もちろん最初からそうであったわけではない。幾度も困難や危機を乗り越えてきた。それは釣人の熱意あっての克服だったはず。
聖地。いや、ここは乳と蜜の流れる川。約束の川。

River of the Covenant. 聖約の川。

日本の川を顧みる。何十年も昔から、この川を訪れた日本人フライフィッシャー達がそう思ったであろうことを、いま同じく思う。これが日本で実現できないものか、と。
また日本の川の現状、釣りを取り巻くもの全般の現状に、思うところがありすぎて、どうしてもやり切れない気持ちを抱かざるを得ない。
単純に文化の違いと言って片付けていいのか?
日本でも、かつてこのような理想郷を実現させようとした動きがあった。失敗が殆どだと思うが、日本に合った形で根付いたものもある。
しかしどうしても先進地の文化に直に触れてしまった今、暗い気持ちにならざるを得ない。
嘆いていても仕方がない。じゃあ何が出来るのか?それを考えないとならない・・・

この4年という年月は、自身にとっては無駄ではなかった。
もし、世界的なウイルス禍がなければ、2020年の夏にヘンリーズフォークに来ていた。
今になって思う。もしそのままヘンリーズフォークに来ていたら、今回のような釣りを出来ただろうか?と。
釣果にこだわり、見苦しい釣りをしたのではないか?小手先の技術に拘泥し、目先の利益に右往左往していたんじゃないのか?結果、何も得ることなく川を後にすることになっていたんじゃないのかと思う。
色々な制限を課されたウイルス過の最中、自分自身と釣りについて考えることが出来たのが却って良かったのだと、今は思う。
ヘンリーズフォークへの旅の前に、オンラインオフライン問わず情報を収集していた時、ヘンリーズフォークで釣りをするある動画を視た。
以前ならなるほどと参考にしたであろう動画だが、その中で釣人が使っていた言葉に違和感を覚えた。
「攻略・遠くのライズを獲る・パターン・これでなければならない」などの言葉。
攻略という言葉がどうしてもなじめない。もちろん私個人の主観だから、客観的根拠はないが、どうもそういう言葉から遠い所にフライフィッシングはあるんじゃないのかと思えてならない・・・

そんな事を思いながら夜のハイウェイを走る。

ライズを狙う老師

レインボートラウトの故郷にて

 

12日間の釣りでは竹竿を使用した。ヘンリーズフォークで釣りをするために製作してもらった竹竿をずっと使った。
製作してもらったロッドビルダーの石田さんとは20年来一緒に釣りをしている。毎年春の本流にてヤマメのライズを一緒に釣っている。ヘンリーズフォークでライズに対峙するのに、石田さんの製作した竹竿をどうしても使いたかった。作り手の顔が見えるものを使いたいと思った。
昨夜、すっかり片付いた自室で石田さんに今回の釣行の顛末とお礼のメールを画像と共に送った。宿所を引き払う時に返信が来た。自分のことのように嬉しいと。

ウッドロードに日参していたときのこと。そのバンは毎日夕方になるとやってきて、駐車場からちょっと離れた場所に止める。中からは1人の釣人と犬が降りてくる。まだライズが盛んな頃に他の釣人が必死にライズを狙っている中、その釣人は悠々と折り畳み椅子に座り犬と共に他の釣人を眺めていた。そして頃合と見るや支度を始めて犬と一緒に川辺に降り立ち、ジッと自分の前でライズするまで待っていた。
もう見えるか見えないかわからないくらいの明るさになった午後9時半ごろ、その釣人は静かに川に入りバンク際ギリギリを狙ってフライをキャストし始めた。そして誰も魚を釣っていない中、魚を掛けた。だが数度のやり取りで逃げられた。
今回の釣行中に見た魚とやり取りをする2人のうちの1人。
その釣人はウッドロードへの酷い道の途中にあるキャンプサイトというには粗末な広場にトレーラーハウスを持ち込んでそこで生活しているようだった。いつだったか朝にすれ違い手をあげてお互い挨拶した時に、そうだと気づいた。
トレーラーハウスやキャンピングカーで寝泊りしながら長期滞在し毎日釣りをしている人は結構いる。そして単独でそういう生活を送る釣人は必ず犬を相棒としていた。
毎日釣りに来ている男女カップルも多かった。年配者から比較的若い夫婦あるいはカップルで釣りに来ている。こういうところもアメリカらしいと思った。男女比ではまだまだ男性の釣人が多いと感じたが、女性の釣人は日本以上に多い。ヘンリーズフォークではないが、日曜日のギャラティン川沿いを走っている時に、女性フライフィッシャーのグループが駐車場で休憩しているのを見かけた。みなビシッと決まった服装で鍔の広いハットが良く似合っている感じだった。
どちらも、日本では余り見かけない光景。

今年の11月に大統領選挙があるアメリカ。
ヘンリーズフォークが流れるラストチャンス滞在中に、選挙を思わせるような出来事や催しに一切出会わなかった。あれだけ騒ぎになっていた共和党のトランプ候補の暗殺未遂事件も、テレビを視ない限りそんな出来事があったのがわからないほど静かというか無関心というか、そういう状況だった。小さな街だからあまり表立って意思表示をしづらいのかもしれないし、一介の旅行者の私にはわからない事情もあるのかもしれないが、にしても何もそれらしいことが無い。やはり隔絶された楽園なのか・・・

道の先に街の明かりが見える。ボーズマンの街だ。
早朝4時半、住宅や信号が増えてきた。
レンタカーのタンクをフルにして返却しないとならないので、寝静まった街の中で煌々と明るいエクソン石油の巨大なガスステーションに入る。併設のコンビニエンスストアは閉まっていて、ガソリンを入れる機械だけが動いている。ガソリンを入れて空港へ向かう。
車を所定の場所に駐車し、鍵を車内に残して荷物を降ろし、ターミナルへ向かう。
5時過ぎのチェックインカウンターには多くの人が並んでいる。
予めスマートフォンにてチェックインを済ませていた私は、日本語対応した自動チェックイン機でバゲッジのタグを印刷し、荷物に取り付けてカウンターに向かう。
朝から陽気な航空会社の職員がパスポートを読み込んで次の行き先を尋ねてきて間違いが無いか確認する。
荷物を預けたら、あとは搭乗口へ行くだけだ。
いつの間にか夜が明けていて明るくなっている外を眺めながら、搭乗時刻が来るのを待つ。

-La fin-

来たるべき日のために

ヘンリーズフォーク釣行記 終わり