Conquest of paradise 釣人は「楽園の征服者」なのか
荒涼とした原始が剥き出しの世界へ浸透してゆく釣人。
釣人は荒れ狂う海に対峙し、ヒラスズキを追う。
自然との対話、自然への畏敬の念、自然の恵みに感謝・・・
そのような感傷的な言葉など、一切顧みることなく、ただひたすらに、ヒラスズキを追う。対話を拒否した圧倒的な対峙の世界を行く・・・
Conquest of paradise
釣人は、楽園の征服者。
調和された「楽園」たる世界を破壊する行為こそが釣りであり、その実行者が釣人なのだと、私は思う。ヒラスズキを追う釣人もまた、荒涼とした世界の征服者たらんと、そこへ浸透してゆく。
だが一方で、私は、釣人は自らの意思で楽園に浸透した征服者ではなく、実はその楽園から誘(いざな)われ、汀に立たされているのではないのか?と、思う時がある。
釣人は無意識のうちに楽園に誘われ、汀に立たされ海と対峙させられて、楽園から試されている存在なのではないのか?楽園からの問いに対して、答えを間違えると、楽園は容赦なく釣人の命を奪うのではないのか?
だとしたら、釣人は征服者などではなく、もっと別の存在なのではないのか?いや、存在すらしていないのではないのか?
では、釣人とは・・・
海に対峙しながら、そのような事を思った。